日本代表選手として2度、監督として1度。
AFCフットサルアジアカップ制覇。
選手として4回、監督として1回。
Fリーグ優勝。
2006年にはAFC年間最優秀フットサル選手賞も手にした。
日本、アジアのフットサルを語る上で欠かせない木暮賢一郎にインタビューした。
――フットサルに生涯を捧げています。スペインでの選手経験、日本での指導者の経験。 フットサルはあなたの人生に何をもたらしましたか?
「フットサルのおかげで色々な経験ができ、人生が豊かになりました。フットサルをしていなかったら、出来なかった体験や、多くの人たちに巡り合っていませんでした。フットサルと出会っていなければ、恐らく今とは全く違う人生だったと思います」
――スペインでの現役時代の思い出を教えてください?
「3つあります。選手としてスペインにいた時代は2008年の経済危機を迎える前でした。リーグに経済力があり、各チームにとても優秀な選手たちが揃っており、2部でもとても競争が激しかった。今思えば、いい時に自分はスペインにいたのだなと思い出します。2つ目は今もそうですが、現役時代からすばらしい指導者、監督たちに出会えたことです。監督となった今でも役立つ経験が多く積めました。3つ目は1部の高い壁です。レベルが高く、1部ではプレーしたが、活躍は出来なかった。選手としては難しかった。だけど監督としてはどうだろう? もし自分がチームを率いて、スペインに勝つためにどうすればいいのだろう? この相手に勝てる日本のチームをつくるにはどうすればいいんだろう? この舞台で活躍できる日本人選手を育てるにはどうすればいいのだろう? 自分が監督にチャレンジしようと思ったきっかけのひとつでした」
――スペインのフットサルは、日本のフットサルの進化にどのような影響を与えたと思いますか?
「非常に大きな影響を与えたと思います。2つの面があると思います。ひとつはミゲル・ロドリゴ、ブルーノ・ガルシアとスペイン人監督が日本代表を長い期間指揮し、進化をさせてきました。また代表チームと同時に指導者の養成も始まりました。ですので、彼らがとても広く大きくいい影響を与えてくれました。もうひとつは自分も含めて多くの日本人選手がスペインのクラブでプレーすることにチャレンジし、クラブに所属し、そこで指導者、同僚から多くの知見を手にしてきたことです」
――“木暮賢一郎”は日本のフットサルにこれまでに何をもたらしたと思いますか?
「自分自身が日本のフットサルにいろんなことを学びましたが、何をもたらしたのかは、分かりません。ただ、はっきりと自信を持って言えることがあります。選手だった現役の時から、コーチ、監督としても日の丸を着けた時はもちろん、それ以外でも日の丸をつけるために常にベストを尽くそうと心がけていました。勝つ時もあれば、負ける時もありますが、常にベストを尽くす。そこだけはずっと貫いていると思ます」
――日本代表監督になったことで、どんなことを学びましたか?
「日本代表を指揮することは、ひとつの目標だったので、嬉しかったです。と同時に先ほどの繰り返しになりますけど、ベストを尽くしました。タイトルを勝ち取ったからと言って、最高の監督になるわけでもなければ、負けたからと言って、最低の監督のになるわけでもない。そう考えています。指揮した日本代表の勝敗からはより生々しくそのことを体感しました」
――今後の目標は?
「常にチャレンジする。それが目標です。今まで試したことがない新しいチャレンジをしていき、そして、またフットサルを楽しみたいです」